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ふみ函

『天地明察』と渋川春海の墓

映画『天地明察』を観てきました。


ちらしと原作本


皆既日食や金環日食など天体ショーが続き、
天文への関心が高まっている近年に相応しい題材。
主役・安井算哲(渋川春海)の純粋さ、誠実さが好もしく、
気持ちの良い作品でした。
算術や天文学に熱中する”学者馬鹿”ぶりの微笑ましさ。
大きなことを成し遂げるひとは、
誰でも子どものようにピュアな部分があるのかもしれません。


小説やドラマなどでその人物に親近感を持つと、
すぐゆかりの地めぐりをしたくなってしまう性分なので、
さっそく北品川にある東海寺大山墓地へお墓参り。


東海道線・京浜東北線


山手線大崎駅の西口を出て目黒川のほうへ。
川にかかる幅広の居木橋(いるきばし)を渡り、山手通りを新馬場方面へ。

山手線のガードをくぐり、春雨寺や第一三共物流センターを左に見ながら進み、
東海道線・京浜東北線のガード手前の左手が墓地入口。


大山墓地入口


線路沿いにゆるやかに登る細い坂道。
この先にこんもりと見える緑のあたりが墓地です。


線路沿いの道


実を言うとここには何度も来ていて、結構お気に入り。
敷地はさほど広くはないものの小高い場所で、
東海寺の沢庵和尚の墓など歴史を感じる佇まいながら、
線路と線路に挟まれた、三角州のような特異な場所。


三角形の先端あたりから見ると、右には京浜東北線、東海道線が見下ろされ、
左手には時間差で新幹線や成田ライナーなどの疾走が見えるという、
鉄道ファンにはたまらないロケーション。
東海道線側にはベンチまで置いてあって、座って眺めていると見飽きません。
日本鉄道の父と言われる井上勝の墓もあるので、井上氏はきっとご満足かと。


渋川春海墓


渋川春海のお墓は、新幹線がすぐ脇を走るフェンスのそばにあり、
説明板が立っています。
東海道新幹線の乗客は、それと知らぬまま車窓から目にしているはず。


渋川春海説明板

                   ↓


品川区指定史跡
渋川春海墓

所在 北品川4丁目11番 東海寺大山墓地
指定 昭和53年11月22日(第6号)

渋川春海は、寛永16年(1639)に京都で生れ、
14歳で父の跡をついで幕府の碁所(ごどころ)となり
安井算哲(やすい・さんてつ)(二代)と称した。
囲碁の研鑽の一方で天文・数学・暦学を学び暦学者となった。

その頃、日本では中国の宣明暦(せんみょうれき)を使っていたが、
2日の誤差があったので、春海はみずから計算して新しい暦を作った。
これが貞享元年(1684)に官暦となり翌年から用いられ、
貞享暦(じょうきょうれき)として後の太陰暦の基本となったのである。

貞享暦は日本人の手で作られた初めての和暦であり、
春海はこの功によって、幕府最初の天文方に任ぜられ、
本所(ほんじょ)(墨田区)に、宅地を拝領した。
春海は、屋敷内に司天台(天文台)を設けて天体の観測にあたった。
これが江戸で最初の天文台である。
春海は正徳(しょうとく)5年(1715)10月6日に77歳で亡くなり、
この地に葬られた。

平成19年3月1日
品川区教育委員会




以前来た時も目にしていたはずなのに、その時はあまり記憶になし。
映画のあとで見るとこういう歴史がぐっと身近に感じられて嬉しいです。


それにしても急に思い立って行ったので、日没間際になってしまい、
明らかに光が足りず、写真がぼやけ気味。
そのうちまた撮影しに行けたら差し替えなくては。


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ベルリンの壁崩壊記念写真展

壁写真タイトル

今年はベルリンの壁崩壊からちょうど20年目という節目の年。
先月末から、東京都港区広尾のドイツ大使館の外壁を利用して、
「ベルリンの壁崩壊記念写真展」が開かれています。


 今年の11月9日、ドイツはベルリンの壁崩壊から20周年を迎えます。
 壁の崩壊は、ドイツ再統一をもたらし、欧州分断を克服し、
 東西対立を終わらせる一連の出来事の端緒となったものでした。
 1989年11月9日は、20世紀において世界を根本から変えるような、
 極めて重要な歴史的事件が起こった日のひとつとして記憶に残ることになるでしょう。

 このベルリンの壁崩壊の記憶を今一度新たにしようと、
 ドイツ大使館では、大使館の外壁を使用した写真展を行います。

 期間:9月29日~11月27日(予定)

 場所:ドイツ大使館 外壁
 (道路に面しておりますので、どなたでもご覧いただけます)

 施工:株式会社アサイマーキングシステム、住友スリーエム株式会社
 (ドイツ大使館HPより)



この夏、ベルリンの世界陸上競技会にちなんで、
赤坂サカスで実際の「ベルリンの壁」の展示も行われましたが、
やはり節目の年ですから、色々なイベントがあるようですね。
約75メートルのコンクリート外壁に、
壁が築かれる様子、崩壊で歓喜する市民の姿など、
26点の写真が展示されています。

有栖川宮公園わきの南部坂に沿った大使館の壁に大きめの写真がくっきり。
坂の下の方は、壁の建設された1961年のモノクロ写真の数々。
壁を越えようとして射殺された青年の死体を運ぶ国境警備隊も生々しく。

壁写真

次は大きなうねりで壁が壊されてゆく1989年。
歓喜に湧く人々の群れ。ここまでにどのくらいのひとが苦しんだことでしょう。

壁写真1989

続く1990年は東西ドイツ統一の年。
そして現在。
壁の一部は色鮮やかなモニュメントとなり、その前でくつろぐ人たちも。

壁ギャラリー


『Hedwig and Angry Inch』を観て以来、
”I'm a new Berlin wall!"(あたしは新しいベルリンの壁!)
と歌い出すヘドウィグとベルリンの壁は、切っても切れない関係。
今年もまた上演されるその舞台を前に、
あらためて苦難の歴史を振り返り、さらに思いが深まりました。

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ベルリンの壁

ベルリンの壁が崩壊したのは、1989年11月。
今年でもう20年もたつのですね。

東西ドイツ分断の象徴だった壁の多くは破壊されましたが、
一部は歴史的な記念碑として保存されていて、
今その一部が赤坂サカスのイベントの一環として展示され、見ることが出来ます。
夏サカス09「ベルリンの壁」8月末まで。

8月15日からの「世界陸上ベルリン」に合わせた催しらしいですが、
本物の壁を見たことなどなかったので、行ってきました。

 1961~1989年、西ベルリンを囲んでいた壁で、ドイツ分断、東西冷戦の象徴であった。
 ドイツが東西に分裂していた1949~89年、東・西ベルリンはそれぞれ
 ソ連と米・英・仏の信託統治下におかれていた。
 61年までに、約300万人の東ドイツ市民が西ドイツに流出。
 この事態に危機感を覚えた東ドイツが、61年8月から西ベルリンへの運行を遮断する壁を構築した。
 展示の壁は総延長155kmに及んだベルリンの壁の一部であり、歴史的遺産である。
 落書きが残る側が西ベルリン、国境検問所「チェックポイントチャーリー」からの位置を示す「28」の字が
 記されている側が東ベルリンである。
  (高さ3.6m、幅1.2m、重さ約2.8t)
                                       協力:マルホ株式会社


この説明板を前に、細長く立っている壁パーツ。
場所はTBS放送センター入口付近。
すっぽりガラスケースに覆われているので、映り込みがきつく撮影はなかなかむつかしい。

ベルリンの壁西側
今まで映像などで見てきた、アート的で色鮮やかな落書きがある、これは西側の壁。

で、裏側の東側の壁はと言うと…

ベルリンの壁東側

とても無機的。
コンクリートの素地にそっけなく数字が記されているだけ。

西と東では、壁の風景すらまるで違っていたのですね。
東のひとたちはこんな数字が延々つらなる壁を見ていたのか。

壁の上部が丸くなっているのは、逃亡を防ぐためだそうです。
つるっとすべって、とっかかりがないから。
登り切れなかったひとたちの運命は…

『ベルリン・天使の詩』(1987)や『グッバイ・レーニン』(2003)、
『善き人のためのソナタ』(2006)など、壁の登場する映画はいくつか見てきましたが、
まさに自身が新しいベルリンの壁だ!と歌う『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001)の
主人公・ヘドウィグ(ハンセル)が見てきた壁の風景がこれかと思うと胸が詰まります。
たとえ一部分でも、本物が持つ存在感はやはりすごい。

壁のことについては、ベルリンの壁というサイトが詳しく、参考にさせていただきました。
壁は今どこにある?というコンテンツによれば、日本では現在沖縄、長崎、大阪、横浜など
五か所に展示されていて、今赤坂に来ているのはマルホ株式会社彦根工場所蔵のものです。

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